春一番名附けの日

 1859(安政6)年、壱岐郷ノ浦の漁師53人が五島沖で突風に遭い全員が死亡した。それ以前から、郷ノ浦の漁師の間で春の初めの強い南風が「春一」と呼ばれており、これが「春一番」の語源とされている。春一番の語源には他にも諸説ある。
 1950年代からマスコミがこの言葉を使用するようになって一般でも使われるようになり、1985年からは気象庁春一番の発表を行っている。
 昨日春一番が吹いたようだ。今日は、長野の飯田市、竜丘小学校まで大正期の自由画展示保存室を訪問した。中央高速は岡谷から伊那に入ると雪が降り始めていた。飯田に入ると止んでいたが、かえりは大月辺りから雪がひどくなっていた。
 八王子を通過して昭島に入る頃は雪は止んでいた。駒ケ岳付近でも雪のチラつきはあったがとても寒い一日だった。
 そうそう、昼には名物のソースカツ丼を食べた。写真は竜丘小学校の廊下に掲示されている、大正の自由画の写真。