8月15日敗戦の日

 今年もまた、敗戦の日が来た。メディアは終戦の日と言う。だが明らかに戦争を仕掛けた当時の権力が負けた日だ。戦争責任さえあいまいにして、戦争の記憶を語り継ごうとしている。相変わらず靖国の参拝だ。韓国の大統領が天皇に謝罪を求めた…。
 しかし、戦争を仕掛けた当事者の罪は罪としても当時の為政者に「だまされた側も罪」と映画監督だった伊丹万作はいう。この言葉は重い、そう、原子力の平和利用という美名に「だまされ」原子の火を容認し原子力発電の永遠のエネルギーとして信じてきた。その安全神話が今回の福島原発の事故だ。私を含め、だまされてきた側の責任も重い。
 話を突然変える。一日一万歩を達成するのは難しい。昨日は8000歩ちょっと、たまたま、歩く機会を失った。今月に入って3回目だ。ところで、歩く途中、道端にいろいろな草花と出会う。
 
 なんという花だろうと、連れ合いも一緒に歩いた時に聞いたりする。
かわいい小さな花なので、聞いてみる。答えはなんと「へクソカズラ」だ。花の可憐さとは程遠い、人は時々残酷な発想をする。花の香りからきているとか。でも、星野富弘はこう言う。今日美しい名前が溢れている、なんと人間らしい名前だと「へクソカズラ」。